このところ自転車に興味の矛先が向いている。そのきっかけは何だったかな?と思い起こしてみると、自転車のパーツの機能美に魅せられたのがきっかけだったように思う。その中でもイタリアのカンパニョーロ社の一昔前のパーツには特に魅了された。初めて見たカンパニョーロは1990年前後のパーツだったと思う。機能美だけではない色気のようなものも表現したそのパーツたちに憧れた。無駄なく早く走るためのパーツなら、現行のパーツの方が優れている。でもモノ好きボンジョルノが自転車趣味を楽しむには、少し前の時代のパーツたちの方が良い。そんな私がどうしても入手したいと願うカンパのパーツがあった。それは1968年から80年中頃まで製造していたヌーヴォレコルドシリーズのリアディレーラー。自転車パーツの中でカンパのヌーヴォレコルドのディレーラーは特別に思うようになった。今すぐではなくてもいつか手に入れたいと思っていた。
ある日初めて来店されたお客様と自転車の話で盛り上がった。使っていない自転車のパーツが色々押入れにしまってあるはずだから、今度持って来ると言って帰って行かれた。そしてそのお客様は先日来られた。持って来られた自転車のパーツたちの中にその憧れのヌーヴォレコルドのディレーラーがあるではありませんか!。それもデッドストック品です。私は迷わず譲り受けた。なんてラッキーなボンジョルノでありましょうか。発信し続けると向こうから幸福が訪れてくる。

そのカンパニョーロのヌーヴォレコルドのディレーラーがこれです。1978年製造の未使用品。実物を見てその存在感に圧倒される。このディレーラーはその時代ロードレースでも活躍した最高の機能を持ったディレーラーであった。でありながら現行のパーツとは違って機能を犠牲にすることなく美意識をデザインしようとしている。

この自転車パーツはあまりにも魅力的すぎる。私のノスタルジックランドナーに装着すれば、シルバージュエリーのような輝きを見せるだろうけれど、転倒して傷つける事を思うと付けれない。しばらくの間は愛でて楽しもう。それに十分見合うだけのオブジェだと私には思えるのでありました。

その珠玉のパーツと一緒に1990年代のカンパのクローチェ・ダウネのクランクも。これはこれで素晴らしい。新しい鋳造技術の発達と共に、2次曲線を多用して抽象彫刻のオブジェのように仕上げたこのクランクは、他のパーツメーカーは真似出来ない(しない)領域。単純な曲線がない。硬質な金属が有機的な表情を見せている。私には動物の骨のように思える。
このクランクは同じクローチェ・ダウネのデルタブレーキをいつの日か入手した時に組上げて乗ってみたい。

自動車の最高峰レースF1において、多くのチームは早く走るための機能と技術で無骨にマシーンを組上げる。その中でフェラーリだけは美しいフォルムや仕上げにもこだわってマシーンを作っているそうだ。それゆえレース会場で間近かでフェラーリのマシーンを見ると、その美しさに圧倒されるそうだ。それと共通するイタリア人の美への意識が、20世紀のカンパニョーロの自転車パーツたちから感じ取るボンジョルノでありました。これからも少しずつ魅力感じるパーツを時間をかけて入手していきたい。
乗り物の中で自転車は隠れたパーツは一つもなくて、全てが見えてしまう。興味のない人が見ると自転車のパーツは自転車全体の中に埋没しているように見えるかもしれないけれど、野に咲く可憐な花をよく見ると独立した美しさを持っている事を発見するよに、人の思いを注ぎ込んだパーツは単独でも美しく思いを伝える。そんな集合体は美しいと思う。
このクランクは美しいですね。
これらは、もう工芸品に近いので、油で汚すなんて事はあきらめて、飾っておきましょう。
物欲のネタはつきませんね。
お互いに。
Re: H さん
美しい物は刺激を与え、私の創作活動に影響を与えます。なんちゃって~。これからも道は違えどもお互い頑張りましょう。
ル・ボナー松本