ル・ボナーの一日
初めての零下15度のキャンプ
2006年12月22日
私たちが初めて越冬キャンプをしたのは、私が28歳の時でした。
メンバーはハミとまだ5歳の息子(娘はまだ生まれてなかった)と、卓袱堂の卓ちゃん。卓ちゃんはその頃、将来の進路に悩む高校生。場所は信州の霧が峰の大雪原。
その頃乗っていた車は幌でまとったオンボロの2サイクルのジムニー550。
子供一人を含めた4人ではあるけれど、キャンプ道具一杯つめての移動は全員に苦痛を強いることとなります。セカンドシートはハミと息子と荷物。リアは卓ちゃん。バックミラーからは荷物に埋もれて卓ちゃんは確認できない。中央高速の坂道の登りでは、アクセルをベタ踏みしても、オンボロジムニーは時速30キロがやっと。そのうえ2速までシフトダウンしないとエンストしそうになります。
そうして辿り着いた場所が信州霧が峰の大雪原。夏だと霧が峰の草原にキャンプするなんてことは許されることではないけれど、雪に覆われた霧が峰でキャンプしても誰にも注意されません。逆に零下20度にもなる所でキャンプする我々を見て、ホテルに泊まるスキー客は笑って前を通っていきます。
テントは卓ちゃんが持っていた、ノースフェースのテント似の国産。生地が薄くて冬は厳しそうなシロモノ。
雪を踏み固め、工事用のブルーシートを敷いた上にテント。寒さ対策のためテントの床にダンボールを敷きつめ、その上に家で使っている敷布団を敷いて万全かと思いきや、敷き布団の巾にはハミと息子の寝るスペースしかなく、私と卓ちゃんはダンボールのみ。ホームセンターで3900円で買った寝袋を二枚重ねして寝ましたが、寝袋と敷きつめたダンボールが接地した部分が凍りつくのを感じながらの睡眠となりました。
夕食は野外バーベキューと洒落込もうと思っていましたが、寒風拭きすさむ氷点下15度の世界。火をおこしたのですが、暖房の役目は全然はたさない。氷点下15度を甘くみすぎていました。これは無理だとテントに避難。プリムスのストーブに小さなフライパンを載せてバーベキュウ。小さなストーブの暖かさがこれほどありがたいと感じたことはありませんでした。
このキャンプの最大の目的はクロスカントリースキーを楽しむこと。
皆がアルペンスキーをしている中、へそ曲がりの我々は誰もしていないクロスカントリースキーで誰も滑っていないバージンスノーを闊歩する道を選びました。これが楽しいけれど体力を相当使う。5歳の息子はスキーで歩くことが出来ず、私達がスキーを滑らせて歩く後を、一歩一歩雪原に足が股ぐらいまで埋まりながらついて来ました。当然泣きながら。現在その息子は、雪原を歩くこともできて、アルペンスキーのように滑り降りることも出来る山スキーをしています。両方を楽しむことが出来る良い選択だと思います。
クロスカントリースキーでの滑降は難しすぎる。
その後私達は何度かの越冬キャンプをしました。徐々に装備も充実して行き、快適な越冬キャンプを過ごせるようになって行きましたが、思い出に一番残る越冬キャンプは無謀な最初の霧が峰です。
凍死するかと思いました。そんな無茶なキャンプを楽しめるハミと、耐えた息子はえらい。
22年前の年末の思い出です。
Le Bonheur (21:04) | コメント(0)
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