ル・ボナーの一日
30代前半、不遇の時代
2006年09月13日
30歳前半頃作っていたフレームトップのボストンバッグ
私は20代後半初めてのお店を聖跡桜ヶ丘に持ち、ほどほど順調だったのに、さらなる野望に燃え高級住宅街で有名な世田谷の成城駅前にお店を出しました。それが大失敗で、全て失いました。その後も何度か野望に燃えては失敗を繰り返し、やっと50歳になって落ち着いたかなという感じ。ハミは私が変な野望をまた抱かないかと今でも気は許していません。
その最初の失敗は、私たち夫婦に2人目の子供が産まれ、ハミが仕事から離れていた時に起こした私の暴走だったのです。その後、借家の庭に8畳ほどのプレハブを建て、そこを仕事場にしてオリジナルの鞄の卸で再出発をはかりました。しかしこれがなかなかうまくいかず、家庭経済は悲惨な状態になってしまいました。今ならネットでの販売とかあるのでしょうが、その頃はまだインターネットが世の中に普及していませんでした。
その時、この窮地を脱するには、私が体力勝負の副業をし、ハミが子育てしながらカバンを作り、私が副業の余った時間手伝うという案でした。
私が選んだ副業は自動車工場の期間従業員でした。拘束時間の割りに賃金が良くて、六ヶ月働くと失業保険もついてくるのです。夜勤の時は昼カバンが作れて、その営業にも行ける。睡眠時間が人間には必要だということを考えずに、これで経済危機を脱することが出来る素晴らしい妙案と自画自賛。
実際に自動車工場で働き出して、現実は厳しかった。
わたしに与えられた仕事はプレス機でボンネットを成型して部品をそれに取り付けること。結構重いボンネットを抱えながら作業はつづきます。
あの頃、毎日朝起きるとボンネット掴むような形で指が固まっていました。指をほぐすのが毎朝の日課でした。指がこるという経験はあの時しか経験したことはありません。
六ヶ月働き辞める時、また働きにおいでと言われましたが二度と行く事はありませんでした。私はその時、分かったのです。自動車工場で働かされたレベルでカバン作りをすればなんとかなると。しかし人間は強制されてするのとは違い、自主的にやるのは難しい。それでも天職としたカバン作り、がんばらねば。それから朝8時から夜中の2時までカバン作りすることで、我が家の経済危機を乗り切りました。今では想像出来ないほど、あの時はよく働きました。
工場の夜勤明けの朝はそのまま寝ずにキャンプへ。8時から夜中の2時までカバン作っていた時も、納品できた後にはキャンプ。いつもその時には、11歳年下の仲間の誰かがが一緒だった。貧しかったけれど、仕事も遊びも体力限界まで使っていた。あの頃に戻りたいとは思わないけれど、よく働きよく遊んだあの頃を思い出すと懐かしい。
一緒に遊んだ11歳年下の仲間たちとの貧乏キャンプ
Le Bonheur (20:53) | コメント(2)
Comments
-
minervaさん
この頃の鞄の作りは今と比べるとラフでした。イタリアとイギリスの鞄のチャンポンのような感じでした。ほんとに色々な鞄を作ってきました。これからも色々な鞄を作ってゆきます。
ちょっと武骨な印象ですが、がっしりと頑丈そうでいつまでも使えそう。やはり今のダレスやハンティングキットバッグの面影があるような気がします。こんなボストンを使って旅行したくなります。