ル・ボナーの一日
東京
2006年07月16日
東京駅は丸の内側が好きです。昔の丸ビルがあった頃は必ず丸ビルのショッピングモールを散策しましたが、今はその丸ビルも変わってしまい序所に思い出の風景は、心の中にだけ残るものになります。
私は17年間、東京に住んでいました。
東京には多くのチャンスがあり、多くの挫折も経験しました。
必死で生きていた東京での17年間。
現在、神戸の人となって、時々東京に来ると、住んでいた時には見えなかった東京が見えます。時々自分を見つめ直すのに東京は悪くない。でも2,3ヶ月に一回でいいかな。
三鷹の高島野十郎展を見た後、浅草橋の金具の問屋が集まる三筋に。
このところカジュアルな製品をあまり作らなかったので、久しくご無沙汰していた柳場美錠に。社長は覚えていてくれました。昔のアウムさんねと。
ル・ボナーの取引先の多くが、なぜかビジネス的な一生懸命さがありません。柳場美錠もその最たる金具屋さんで、真鍮の金具では日本一有名な金具屋さんだと私は思っているのですが、そのブランド力をうまく使って事業拡大とか全然考えていない風で、周りの金具屋さんが新しい社屋に建て替える中、柳場美錠は昔のままです。
その後、鞄メーカーの堀切の猪瀬さんのところへ。
猪瀬さんの古い木造校舎のような仕事場はいつ来ても、いいのです。一階の裁断場には、裁断職人40年のベテラン、上岡さんがニコニコしながら迎えてくださいます。二階の縫製場では忙しくサンプルと量産をこなしています。
仕事として、今年一番楽しみにしている企てを猪瀬さんたちとやるのです。どんな内容かは秋には公表します。形にするまで、楽しいけれど大変な日々がつづきます。今回はその相談で行ったのです。
夜は、日本橋の老舗の蕎麦屋さんに、Mさんとお食事。
Mさんとは、専門学校のヒコ、ミズノさんがバッグコースを開設する関係で知り合い、東京に行く時は会いたくなるお人です。今はトラバーユし、大手外資系企業の中枢で働いておられるのですが、江戸の下町を愛する好中年。
江戸前の蕎麦はちょっと特別。せいろとざるの違いは色が違う。のりはざるにも乗っていなくて、ざるの蕎麦の色の方が薄くて、せいろの蕎麦の色の方が濃い。海苔は別に頼んで漆器の小箱に入ってきます。江戸っ子の粋な蕎麦の食べ方は、箸ですくったそばの端を少し蕎麦つゆにつけて、蕎麦の味を楽しむというけれど、現実は蕎麦つゆがだし醤油なみに濃くて、蕎麦を全部蕎麦つゆにつけて食べると、濃くて食べれたものではないのです。
そんな蕎麦屋で楽しくお話して、いつもの東京の定宿、学士会館へ。やはり私にとっては居心地の良い宿です。今回の東京2日目は、午前9時には新幹線の中でした。蒸し暑くて早く神戸に帰りたくなりました。新神戸の駅に降り立つと、空気が優しかった。
Le Bonheur (20:55) | コメント(0)
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