話しがあったのが5ヶ月前の事だった、沖縄県工芸産業協働センターで講義と革小物製作の指導をしてもらえないかと。年に一度皮革製品製作教室の生徒さんたちを引率して姫路のタンナー等を見学する時に毎回ル・ボナーも見学コースになっていて、そんな関係で私に白羽の矢が立ったという事です。最初話しがあった時、私は講義なんて勿論皮革製品作りの教室の指導もやった事がなかったのでちょっと悩んだ。でもこのお話しを引き受けたら沖縄にいる孫の梢ちゃんに会えるじゃないですか。そんな不純な考えも脳裏をよぎり引き受ける事にしちゃった。
皮革製品作りの指導の方は何とかなると思っていたけれど、講義の方はもうどうしましょうという感じ。そんな時アップルの宣教師・プラさんがプレゼンテーション用の画像編集を申し出て頂けた。プラさんは月に数度のペースで講演をしているスペシャリスト。画像送ったら直ぐにキーノートで編集、それを本番前に知人に見せたら、話さなくても画像を見てるだけで物語を感じるねと。あとは私・・・・不安を引きずったまま神戸空港から那覇へと前日泊で5日夕方飛び立った。アンチョコ書きはホテルでも深夜まで続いた。
6日の初日は午前中打ち合わせとプロジェクターでちゃんと写るか試写、そして教室の生徒さんたちと顔合わせ。午後から琉球絣製作の現場を見学し織り体験。
これ面白い。ただボンジョルノは不器用だとあらためて実感。
でも途方もない手間をかける手染め手織りは尊いけれど、産業の枠外だと感じてしまう。それを産業に結びつけ後継者を育てるのはどうすれば良いのだろうか?。
そして私のその日の拘束時間は終わった。さあ、息子家族と食事だぁ〜!梢ちゃんに会える。
なんて可愛いでしょう〜完全に爺馬鹿。
そして翌日7日、本番の日
七転八倒の30年とやっと人並に過ごせるようになった10年を縦糸に、その時々に出会った才能ある人達とその時々に思った事と素材の事を横糸に紡いで行きますなんて、昨日の琉球絣の織りに影響された言葉から始まった。
この時アニメーションの映写機は動いてます。
画像変わるたび話しいっぱい出てきてアンチョコなんて見ること無く話し続けたので2時間半の講義の予定の1時間過ぎた時点で1980年まで10年分しか進んでいない。進行係の方はどうしましょうと困り顔。
その為30分延長してそれでも後半は駆け足で。
偉そうに原価計算ですよ、知ったというか実感したのは10年前の私。
そしてタイムスケジュール滅茶苦茶の私の3時間の講義は無事じゃないけれど終了した。結局一度もアンチョコ見ること無く話してたなぁ〜。社交辞令かもしれないけれど責任者の職員の方に、職人目線からのお話しは初めてだったので良かったですと言われたのでまあ成功という事で。
午後から実習の特別講師。正直言ってこっちは全然楽で楽しめる。
革小物製作は明日が本番。
夜は首里城近くの沖縄料理店で謝恩会。
民家を改装したような住宅街の中にあるお店、良い感じでした。
翌日は朝から夕方4時半までフルフル製作指導。作ったのは残心革小物シリーズの折財布とコインケースでした。製品レベルとは言えませんが使用するには問題ない品が出来ました。
そして皆さんと記念撮影。
那覇空港から午後7時過ぎ神戸へ帰宅の途へ。62歳にして初めての経験、結構楽しめました。林さん、私の事を推して頂いてありがとうございます。素敵なモノ作り人生を過ごしてください。
今回講義・実習指導を快く受けて頂いて本当に嬉しかったです。
40年という経験・考え方を実際にお聞き出来、自分たちにとってかけがえのないものになったと思います、ありがとうございました。
ただ…欲を言えばもっとお話を聞いていたかったです、2日ほどぶっ通しで!(笑)