93歳になる母がなくなりました。大往生でした。
「ありがとうございます」と心底思い送り出しました。
8月に実家に寄った時撮った母の横顔。膝が駄目で歩行が大変ではあったけれど、93歳の8月まで要支援1で、自分で出来る事は頼らず自分でする母でした。そんな母が苦しくて救急車を呼び病院に運ばれたのが9月初め。高齢なので治療は難しく、その後実家近くのケア医療病棟のある総合病院に。そんなに苦しむ事なく10月27日まで静かな時間を過ごしました。27日の日昼食を食べ終えた後、息苦しいと言う事で酸素を増やした後から眠っているだけのような寝息に。そしてその後苦しむ事なく28日午前12時半に逝きました。最後まで自分で出来る事は自分で出来るだけし、女性の恥じらいを持ち続けて亡くなりました。
私を生んだ母は私が物心つかない時に病気で亡くなり、今の育ての母が私が6歳の時3人の子供がいる父の元へ嫁いできました。私は末っ子で特別愛されたように思う。宮崎で県議会議員、町長などをした名士の家の出で、戦前の地方都市育ちなのにクリスチャン系の女学校を卒業している。お花、お茶は師範の免状を持ち、和裁、洋裁などはプロ並みだった。そして料理はすこぶる美味しくて、食した人皆が感銘を受けた。今ではハミもそんな母の味に強く影響を受けた料理を作る。小学校の参観日の時、そんな母の和服姿での参観が自慢だった。
葬儀は子供と孫だけの家族葬で。母の事を思い描くと、父が亡くなった後洋服しか着なくなったけれど、和服姿しか思い出せない。小紋の着物を着て化粧した母は93歳とは思えない美しさでした。そして父の元へ旅立って行きました。
この度はご母堂様のご逝去の報に接し、謹んでお悔やみを申し上げます。
威厳に満ちた素晴らしい横顔です。心からご冥福をお祈り致します。