ル・ボナーの一日
独立系職人の鞄を欲する人と作る職人のギャップ
2012年03月14日
Le Bonheur (22:28) | コメント(15)
Comments
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西山です。
今回は独立系鞄職人の方々への応援歌なのでしょうか?松本さんは別の道を歩んでいますものね。気を使えるということは余裕があるのでしょう。
この前伺った時も、このような内容のお話をきかせて下さいましたね。
ところで松本さん、そのオートクチュール的?(安易にオートクチュールというコトバを使うのはどうかと思いますが・・。先日の岡本拓也氏の鞄はオートクチュールなんでしょうか???)に製作した鞄、松本さんがお客だったらその値段で躊躇せず買いますか?
独立系鞄職人などがつくった鞄が、100万円や50万円の値を何故付けられないか?作ってる本人が一番解っていると思いますよ。
それにしても独立系鞄職人の方々は、少しばかり上手だと褒めちぎられておとぎ話が出来上がってしまいますよね。消費者が目を肥やすことが大事かと。 -
男の持ち物:靴、鞄、スーツ、時計のお値段について:貴兄の巨大なグリージョのトート愛好者です。なかなか、難しい問題ですね。大昔から懇意にしている誂えの洋服屋さんは、いまだにほとんど丸縫い(7人の職人さんによる手縫い)で、生地によりますが50万程度。いまは高くてもすぐにきれるイタリア製(これも30から50万)のスーツに人気があるそうで、経営は大変そうです。靴は、貴兄も履かれている「てつじ屋さん」の路線(靴おたくは避けて、手に入れやすい価格で履きやすい靴を提供する)と、クラシックな手縫いで概ね30万代で誂え靴を作成する路線(親しくさせていただいている方もおります)がありますが、独立して誂え靴単独でで生計を立てていける方の数はそう多くはないと思います。また、このような高価な靴をあつらえる方のなかには、細部にわたる注文が多く、靴の全体バランスとの関係で難しい局面もあるようです。さて、鞄の誂えは、小生の場合は、ミシン・手縫い併用のものを3点ほど保有し満足していますが、いずれも既製品にない仕様(カーキのスパーバッグのトート、コードバンのコンパクトブリーフなど)がポイントで、コストパフォーマンスには満足しています。なかなか、H社のsac a pocheやバーキン、バレクストラの製品に匹敵するものを独立系の方が同価格で提供することは容易ではなく、まして値段に納得いただけるかは? しかし、靴でも誂えを履いている人はまれであるというのが小生の認識です。時計では誂えはなくはないですが、極めてまれで、しかしながら高価な既製品の売れ行きはよいですね。小生の場合、既製品にはその良さが、誂えにはその良さがあり、男の持ち物全体のバランス(スーツが50万なら時計は100、靴は10、鞄は10から15)かなと考えております。
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突然失礼いたします。この文章にはものすごく違和感を覚えます。なにか、もっと自分を評価してください的な・・・。
みんな、自分の仕事の単価計算をして生きているわけではないような気がします。 -
拓也さんの作品は様々ありますので、一概には言えませんが、自分のペンケースの例ですと、拓也さんから作品のかなり凝った製法、工夫点、革の素材などを直接うかがい、安くはない値段でしたが納得して注文し、完成を心待ちにしました。自分は拓也さんご提案の標準形にほぼ満足し、微修正のみお願いしましたが、他の何人かの注文主の要望に個別にいろいろ応じておられました。こうした形は、拓也さんの製品づくりにおいて一つの特徴だと思っています。これをオートクチュールというのかどうかわかりませんが、松本さんのおっしゃっている趣旨はよくわかります。職人と対話しながら、形をつくっていく物語、過程に価値を見出していますし、適正なる評価がなされるべきだと自分は思います。これも「目の肥えた消費者」の一つの在り方といえないでしょうか。もちろん、人件費が日本に比べて極めて安い国がある中で、時間的な手間だけでない、オリジナルな付加価値が求められます。
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はじめまして。
今回のお話は、ステータスとしての認識のされ方に差があるからではないでしょうか。
靴や時計は、持ち主が必ず身に付けるものです。ヨーロッパで言えば、貴族や王族でも身に付けます。
鞄の場合は昔から、仕事においてもプライベートにおいても、労働階級の人間が持ち運ぶという場面が多かったのではないでしょうか。労働階級の人間には、従者はいません。
重たい鞄や、大きな鞄を持ち運ぶといった場面は、たとえ高級な鞄だったとしても、誰かに仕える者の持ち物として認識されてしまっているのではと考えました。
そのため、たとえ物が大変良いとわかっていても、それを持つことで得られるステータスは同等の靴や時計にはどこか及ばないという印象を持たれてしまっているのではないでしょうか。
私自身は、良い革鞄を持つ人はとても素敵だと思います。大切なのは、その人にとって本当に良い鞄というものを、消費者が個々で理解していくことだと思います。
遠回りしましたが、ボンジョルノさんの今回のお話は、買い手が「自分にとって本当に良い革鞄」を必要としていて、それは今回のような方法でしか実現しないとなったとき、なぜそんなに高価になってしまうのかを買い手が理解する助けになると思います。
ですのでいたってシンプルですが、作り手は腕やデザインの発想を磨き続け、買い手は自分の欲求を真に理解しようとする姿勢があれば、いつか鞄も市民権を得る日が来るのではと思います。 -
ご無沙汰しおります。これは時計で
例えると、トールビヨンと似た喩え
にもなりなすね~~~。それよりも
もっと難しい事かも解りませんね。
ケースから考えると時計の方が高く
つくし、ロレックス・ビトンが
七不思議のように思えます。
大量生産であの価格、正にブランド
力につきますね。我々の先代の時代
は車という物が殆ど出回っていなか
ったし、既製品という物が、
無かったので、時計・スーツ・ベル
ト・靴・帽子などが男のステータス
として有りましたね~~~。
オーダーメイドが主流で価格も、今
とそう変わらずということを覚えて
います。それにしても価値観が解ら
ない人が多い時代です> -
オーダーメイドというものは、カバンでも靴でも自己満足の究極形です。「世界にひとつしかない」わけですから、他人がどうこう言うものではなくなる。そこにブランディングは出来ません。ステータスは時としてトレンドと混同されるのですが、ステータスとは便利な言葉です。要するにこれも自己満足のことだと思います。「ポルシェのブレーキ性能とジャガーの猫足とマセラティの優雅さにクラウンの丈夫さを兼ね備えたクルマを1台作ってくれ」と言おうものなら、何億かかるかわかりません。でもそんなクルマは他人からすれば本当に良いクルマなのかどうかは意見が分かれると思います。オーダーメイドとはそんな世界です。作り手の不足をも買い手がカバーしなければ成り立たないと思います。今回はボンジョルノさんを全面的に支持します。
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西山です。
松本さんの独立系職人の鞄を欲する人と作る職人のギャップにはじまり、( コメント頂いた皆様へ )でしめて終了ですか。何事もなかったように、またいつものようなル・ボナーの一日の日記に戻るわけですね。今のところ、ここのチームはそれが無難でしょう。 -
自分は、「ここのチーム」ではありません。松本さんのお店にうかがったこともありません。
今回の話題は、そもそも結論が明確に出るような事柄でもありませんし、このブログは、朝まで生テレビのような論争をすることが想定されている場でもないと思います。松本さんのご対応は、松本さんのお立場からは正解だと自分は思います。「大人の対応」は、いい意味で「無難」だと評価されるべきです。その辺りの機微が「目の肥えた」消費者につながるのではないでしょうか。 -
久しぶりにコメントを書きます。
皆様にもいろんなご意見がありますね。
しかし、ここはル・ボナーさんのブログですよね。
松本さんが、自分が思った事をブログに書かれた事で、
こんなに賛否両論することでしょうか。
数年前にル・ボナーさんの事を知り、それから無理なお願いもしてきましたし、
いろんな鞄や小物も使わせていただいています。
所詮全て自己満足のための所有では無いでしょうか。
自分がこの鞄を持つ時は、大切な商談の時の勝負鞄だと思ったり、
家内との大切な思い出を刻むための鞄だったり、
常日頃自分の相棒として、毎日共に過ごす鞄だったりします。
ただ以前からおっしゃていた適正価格と思われる価格を付けられるわけですから、
それから先は、買い手側の判断ですよね。
買う自分がその価格で買いたい、買う事で満足すると良い買い物だし、
失敗だったなあと思うと悪い買い物でしょう(笑)
あえて自己判断が買いものではないでしょうか。
私は、ル・ボナーさんの鞄や財布等を10個以上使っていますが、
失敗だったという事は1回も無く、満足して、知り合いにもどんどん紹介しています。
自分が満足しているからこそ、薦めているのです。
スーツも以前はリベラーノやアットリーニ、キトンなどを着ていましたが、
今では石田洋服店のスーツやジャケットがほとんどです。
価格では無く、満足できるモノだからこそ、選択しているのですが。
自分が満足できると思う選択をするのは各人ですから。
手縫いのフルオーダーで、それ相当の価格を出す事に満足される方は、
それで良いだろうし、
適正価格の素敵な鞄があれば私はそちらの方を選択します。
今回は松本さんが作られた鞄が、独占的(その人だけの)鞄の価格としては、
受け入れられず、そのパターンを活かす事で、
価格を抑えるようにされたが、やはり、独立系職人がされる努力を、
価値として認めて欲しいと書かれて理うのだと思うのですが。
個人的なブログに、個人的な想いをつづられる事に、
読まれた方が、書かれた方の想い以外の方向へ論点が持って行かれるのはどうかと思いました。
ことばじりをとるのはどうでしょう。
私は少なくとも、ル・ボナーの鞄は大好きです。 -
2度目のコメントで失礼します。
「Le bonheur」というお店は、今回のようなボンジョルノさんの姿勢があるからこそ、お店として今日まで成り立っているのだと思います。
「夢を食べて生活はできない」ということを、このブログで当初から書かれていました。作り手の生活が成り立たなければ、作り続けることは不可能です。
作り続けることができなければ、技術が洗練されることはないでしょうし、過去に作ったモノ(売ったモノ)に責任を持つこともできない。
ボンジョルノさんの場合は、ここに生産管理という考え方も加わります。これらは、最後は買い手(使い手)の利に繋がっている、と感じています。
自分の仕事に責任を持つことは、続けられなければ不可能です。「続ける努力」という当たり前のことができなければ、それこそ作り手の自己満足で終わってしまう。
買い手にとって、実質60万円のオーダー鞄がそれ以下の価格で手に入れば、それは満足でしょう。私はそんな満足は要りません。
本当にそのオーダー鞄が必要なら、鞄は逃げませんから、貯金が貯まるまで待ちます。買い手の首も、作り手の首も絞めない形は、本来あるべき当然の姿ではないでしょうか。 -
皆が避けるような切り口のブログをあえて書かれたルボナーさんに拍手です。
コメントを書かれた方も、ある程度の節度を保ちつつ考えを伝えようとなさっており、実社会の中で理想のものづくりをしてゆくことの厳しさについて真剣に考えられている方が多いことに改めて気付かされました。
ルボナーさんにしろ石田原さんにしろ、実社会において、拘りのものづくりを求める顧客の要望に対して、ビジネスを踏み外さない冷静さの元に、確実に応え進化を続けられており、それゆえ厳しく変化の激しいなか支持され続けているのだと思います。
これからもトップランナーさん達を注目して、隠れファンとして応援しています。 -
価格から出発した物作りは,現在では多すぎて・・・いい物作りから出発して価格へと向かうボンジョルノさんの方向性を支持します。書かれている内容は真実でありごもっとも。ル・ボナー製品を20年近く使用していますが,糸のほつれ一つありません。経年変化は作成の段階である程度織り込み済みで,ますます愛着がわいてきます。
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はじめまして。
趣味で製作していた革小物がお店で取り扱って頂けることになったのですが正にこの状況に陥ってしまいました。
とりあえずまだ学生なので自分の利益をギリギリまで下げることにしたのですが先行きが不安です・・・・・・
なるほどなあ、といつもの事ながら頷きながら拝見しました。
(あ、以前に神戸堂の話の時にお邪魔した者です)
ブックマークさせてもらって、毎回お邪魔はしてるんですが、何しろ手も足も出ないものですから。
(鞄も、欲しくても手も脚も出ない)
でも、素晴らしい革製品を見られるだけでも儲けもの、と思って、懲りずにお邪魔します。