ル・ボナーの一日
あの頃はみんなでキャンプ
2005年11月13日
30代の私は時間がとれるといつもキャンプに行っていました。
貧乏だったあの頃、お金を掛けずにリフレッシュするのにキャンプは最高のチョイスでした。
写真の時は珍しく贅沢な旅行で6人宿泊予定で貸し別荘を予約し、11人で行きました。
場所は信州、白樺高原。昼はそれぞれ勝手に遊び夜は皆でドンちゃん騒ぎ。
一番チープなキャンプは卓ちゃんと卓の弟の周とアルバイトのイガの4人で行った12月31日からの奥蓼科での越冬キャンプでした。所持金は4人で1万円弱。燃料費が安くて済むのでイガのぼろジープに乗って下道でいざ奥蓼科へ。通行止めの道の先の先、零下15度の別世界へトリップ。装備はディスカウントショップで買った5000円のテントと1900円の寝袋の二重仕様。夕食は味噌味に餅、白菜、サザエの缶詰、あるもの何でも入れて山賊鍋。食べた後は花札して負けたら罰ゲームは、零下15度の雪原で雪にパンツさげたお尻を押し付けて100数える。朝、テントから外に出ると数え切れないお尻の形が雪原にありました。夜中、二重寝袋のかいなくあまりの寒さに目を覚ますと隣で酔って寝ているイガは寝袋も掛けずにグーグー熟睡モード。こいつは豪傑かバカだ。隣のテントからは寒さを紛らわすための歌が聞こえてきます。
次の日、帰り支度をしていた私たちの前で、和歌山ナンバーのカップルを乗せた新車のエスクードがスッタッグ。浮かれ気分で通行止めの雪道を走るからだ、ザマア見ろという思いでしたが、一時間ほどしても脱出できず、スタッグ脱出ベテラン4人組は助けてあげる事にしました。10分もしないうちに脱出成功。その後卓ちゃんの長々とした説教。お礼にとお金を差し出すカップルに金なんかいらないとまたまた説教。ほんとは金欠キャンプの私たちには喉から手が出るほど欲しいのにやせ我慢。それでもというのでしかたなく(?)貰ってあげて一万円をダッシュ。この不労所得で帰りは露天風呂と食堂での食事。
2年前の夏の終わり、岐阜の高山のその奥でキャンプをして以来していません。あの時も楽しかったなあ。私は工事用のブルーシートをターフとして使う名人なんです。
Le Bonheur (22:13) | コメント(0)
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