ル・ボナーの一日
山口小学校の楠木
2005年11月08日
親父の仕事の関係で、あちらこちらに引っ越した私ですが、故郷はどこかと訪ねられたら小学6年間と中1を過ごした現在の朝来市朝来町とこたえます。
今年の夏、小学校の時からの友達で今は弁護士をしているO君が、庭師の大ちゃんと3人で小学校の担任の衣川先生に会おうというのです。
弁護士のO君と庭師の大ちゃんとは10年前同窓会で久しぶりに会って以来親しく付き会っています。
O君は大阪に弁護士事務所を持って日々ハードに仕事をこなし、大ちゃんは何百年も先まで残る庭を造ろうと汗をかきながらがんばってます。全然違う仕事をしている3人ですが気が合うのです。
10年前の同窓会では、その後二次会、その後小学校の時仲の良かった男3人と美人で美容師をしているひろ子ちゃんと私の初恋の人ヒサ子ちゃんと、5人でひろ子ちゃんの家に押しかけ夜遅くまで話をしました。たのしかったなあ、、、、その数年後美人のひろ子ちゃんは白血病で亡くなりました。
それ以来の故郷です。
先生に会う前の日の夜、お店をハミに任せて特急はまかぜに乗ってゆきました。
生野駅までO君が車で迎えに来てくれて夜はO君の実家に泊めてもらいました。
次の日の朝は雨で、山の上半分は霧で隠れ空気が美味しくて思わず深呼吸。
私の住んでいた林業試験場もその官舎も今はありません。
私がお風呂にいる時間に美川ケンイチのヤナガセブルースをかけて映画の始まりを知らせる町に一軒の映画館もなくなっていました。
それでも朝来の町を歩くと、思い出がアチラこちらから顔をだします。
午前中に先生の家に行き、色々話して、飲んで、食べて午後からはお酒の飲めない私がO君の車を運転して、朝来の観光スポットを4人で回りました。
朝来の森美術館、千年家、ミコバタの精錬所跡、遠足でよく行ったババ山。
静かで幸せな時間でした。最後に、卒業した山口小学校に行きました。
私たちが学んだ木造校舎はなく、鉄筋の新しい校舎が建っていましたが、正門とその横にある楠木は今もありました。卒業文集の表紙の絵は私が書いたこの楠木でした。あの頃は枝がもっと横に伸び葉は青々と繁っていて偉そうだたのに、37年ぶりに見る楠木は少し元気がなさそうでした。
その日の夜,新井の駅から播但線で帰りました。O君と大ちゃんは駅のホームで手を振って送ってくれました。私にとっては幸せな24時間でした。
この年になって思うのですが、思い出は自分の人生のかけがいのない宝物なんだと。
また同窓会をしたいな。
Le Bonheur (23:52) | コメント(0)
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