ル・ボナーの一日
独立系鞄職人への道
2007年10月29日
私の独立系鞄職人としての30数年の大部分は七転八倒紆余曲折、お世辞にもカッコ良いモノではありませんでした。21歳で結婚し、すぐに子供が生まれ、それまで居た手作り鞄のグループは大変楽しく面白可笑しく鞄作りが出来る環境ではあったのだけれど、給料が安すぎて私一人の収入では、これから生まれる子供も含めて3人の生活には無理でした。
そこで独立して鞄を作って卸しをすれば生きていけると思い、無謀にも21歳で独立したのです。鞄を作り始めて2年目のことでした。その頃つくっていた鞄を今見ると恥ずかしくて目を覆いたくなるモノばかりでしたが、都内のモノ好きな鞄屋さんにおいてもらって、モノ好きなお客様が少しは買っていただいて、なんとかやっていけました。しかし大変貧乏でした。
その後も神戸にお店を持つまで、本当に貧乏で、何度鞄作りをやめようかと思ったことか。そんな時私の相棒のハミは「心の貧乏人になるのだけはイヤだ」と叱咤激励し、私達夫婦は貧乏と付き合いながら鞄作りを続けました。
ただその間、多くの人と知り合うことが出来て多くの技術を学び、自分達の作った鞄たちが、私たちの思いを表現できる技術力は身につけることが出来ました。
その後、神戸にお店兼工房を持ち、ほどほど余裕ができると、鞄職人を育てたいという野望を持ちました。ハミは反対したのですが何人かの、鞄職人になりたいと思っている若者を雇いいれました。自分が無給から鞄作りを始めた苦い経験から、雇うなら普通の給料は払いたいと思いました。しかし給料と職人見習いの生産力が見合いません。それをコントロールするのも私の仕事なのかもしれないけれど、その能力は私にはありませんでした。10年近く続けて破局しました。
その10年の苦い体験から、もう人は雇わないで私達夫婦だけでル・ボナーを守ってゆこうと決めました。それが私たちには身の丈に合っているようです。今が一番幸せなル・ボナーです。
私達は鞄を作る日々を楽しんでいます。私自身で作るカバンが私自信を表現し、それを糧にして生活出来る日々に感謝しています。モノ作りは楽しい作業です。鞄作りしながら普通の収入があれば、それで十分幸せです。
私たちは不器用で頭が悪かったから大変遠回りしました。もっと楽に独立系鞄職人としてやっていける方法はあるとは思うけれど、独立系職人は気合い(情熱)と根性と、少しの感受性(センス)が基礎にないとプロとしてやるには難しいです。へらへら笑ってしまうほど作り続ける体験を繰り返した後に本当のカバン作りの面白さが見えてくると思うのであります。
マイホームを工務店や建築事務所に頼むのでなく、少し高くても大工さんにお願いするのと同じように、工業製品でない、アナログで生産効率の悪いモノ作りに価値を感じる人がいる日本という国は、私たちのような存在を容認してくれる国です。そんな日本で、カバン作りを通じて表現しながら生活出来ることを幸せに思っています。
百花繚乱、色々なタイプの独立系鞄職人と知り合い、楽しい企てをしたいなぁ~。
Le Bonheur (21:07) | コメント(5)
Comments
-
いつも独立系のお話は
深いですね
とおってきた道のりが
それぞれの職人として
色をだすんでしょうね -
職人の方が作ったローテクで非効率ともいえるモノにひかれます。効率化のもとに,現代が捨て去っさった宝物に吸い寄せられているといった感じです。こういったモノは自然に近いので人格さえ感じます。
-
まるさん
文化的ではないのですが、基礎体力を持った上でないと、感性も個性も生かせないのではと思っています。ハミは違った意見のようですが。でもまるさんの体力は特別ですね、私は勝負しません。
企て面白いとおもうでしょう?やろぉ~!必ずやろぉ~よ。
t-okuno さん
カバンを作る技術は簡単に習得出来ると思います。しかしその後が大変です。続けることで個性という色が生まれてくると思います。妥協するとその色があせてしまいます。プロはその折り合いをつけながら鞄作りをつづけます。自分を表現しつづけるために。
orengeさん
我儘にカバン作りを楽しもうと思っています。そんな私を理解してくださるお客様たちと一緒に。 -
泣きました…本当に…
松本さん、ハミさん、おはようございます!
誰も登ったことがない山を登るのと同じ、自分の足でない道を作りながら登っていかないと登れない。 既にある道を登るのは簡単なこと。
徹夜が続くと体が震え、手先が震え、変にへらへらと笑ったりしました。
それでも納期は迫ってくるのでやらなくてはいけない。
食べていけない。
通っておいた方が後々楽になる道筋。逃げるのもまた楽だったりします。
全て本人次第。それが唯一の答えですよね!
企て、、、やりましょやりましょ!!!