ル・ボナーの一日

私の一番大事な人

2006年10月19日

ハミ2歳.jpg 私の妻であり、同志のハミの2歳の時の写真。 ハミのお父さんはお店を持たない顧客相手のテーラーでした。出来上がったスーツを何度か見ましたが丁寧な仕事で仕上げられたスーツを見る時、尊敬を感じます。 そんな丁寧な仕事のわりにそれに見合った値段を要求できないお父さんでした。 そんな蓮見家の次女としてハミは、東京の板橋で生まれました。 高校を卒業して、丸の内のOLに。数年後、夢捨てきれずモノを作り出す仕事がしたくて文化服装学院に行き、バッグを作る会社へ。 そのまま丸の内のOLしてれば、帝大出のエリートサラリーマンと結婚なんてこともあっただろうに、カバンなんかを作りたいと考えたから、私のような男と出会い結婚するはめにあいなりました。私の一方的な情熱からの恋愛でした。 貧乏な二人のデートは、早朝の神宮のポプラ並木や絵画館を散歩したり、自転車に二人乗りして都内全域走り回るというようにお金をかけない(お金がなかった)ものでした。それでも楽しい日々でした。 結婚して28年、私の社会順応性のなさと夢多き性格が、我が家に経済危機を何度も発生させ、家族を右往左往させました。きっとハミ以外の女性と結婚していたら、今頃別の仕事をしていたと思う。 心の貧乏人にだけはなりたくないとハミは言います。金銭的には苦しいことが多かったけれど、思い出はたくさん作りました。 ハミはカバンを作るのが大好きです。ハミの作り出す優しいカバンが大好きな私です。しかし私の我儘につき合わされてきたハミは、自由にハミらしいカバンを作れないで来ました。もうオバサンになってしまいましたが、これからはハミに自由に作ってもらいたい。私の我儘はもう打ち止めにして。 私にとって一番大事な人です。

Le Bonheur (11:35) | コメント(2)

Comments

  1. たかし より:

    ハミさんの自由な感性で創った鞄というのは、実に楽しみです。
     それにしても、「私の我儘を打ち止めにする」なんて、ブログで言い切ってしまっていいんでしょうか。

  2. ル・ボナー松本 より:

    たかしさん
    うー、確かに少し後悔しております。でもまあそういう気持ちを持ち続けようと、自分に言い聞かせるためにもブログ上に残しておきます。痛いところをつかれた。

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