ル・ボナーの一日

聖跡桜ヶ丘

2006年08月26日

ボンド貼り機.jpg 23年前に購入したボンド貼り機です。 一時は毎日のように使っていた機械ですが、今は月に一度ベルトをまとめて作る時しか使わなくなりました。毎日のように使っていたころにはモーターから煙を出した事もありましたが、今でも元気にがんばってくれてます。 道具や機械たちは私たち夫婦の浮き沈み人生を共にがんばって来てくれました。 23年前、私は東京の京王線沿線の聖跡桜ヶ丘に始めてお店を出しました。 ショッピングセンター内の4坪ほどのお店でしたが、私たちの夢のお城でした。 国立の村田ご夫妻に紹介していただき、ラグビー仲間の工業高校出で、一生懸命勉強して一級建築士の資格をとったばかりの友人が、材料費にもならない10万円で内装、電気 系をやってくれました。 その友人は、我々草ラグビーチームのキャプテンで、口数少ないけれど、先頭に立って苦しい練習をすることでチームをひっぱる男でした。仕事でも前向きな人間で、一級建築士の資格を取ったあとも他の資格をとるため、夜間の専門学校に平日は通っていました。 そんな自分を厳しく律する友人は、30歳を少し越えた時急死しました。愛する奥さんを残して。私の50年の人生の中で、一番悲しい死でした。 技術的には、まだまだ素朴な手作りカバンの域を出ていない製品しか作れなかったけれど、お店はそれなりに順調でした。 まだ若かった私たち夫婦のお店には、10代から20代になる多感な若者たちが多く集まりました。私たちと一回り歳が違う若者たちです。将来に対しての不安と希望、恋愛の喜怒哀楽、そんなこんなを見た、今は40歳を前にする友人たちとは、今も久しぶりに会ってもあの頃と同じに話せます。 久しぶりにジブリのアニメ”耳をすませば”を見ました。私の大好きなアニメです。 ”耳をすませば”の舞台は聖跡桜ヶ丘近辺です。ショッピングセンターのお店の大きな窓からは地球屋のあるいろは坂の上の、多摩の高級住宅地が見えました。 雫と聖司のような、他人の責任にせずに、内なる自身を見つめた若者たちが私たち夫婦のお店に集いました。地球屋は今でも私の憧れのお店です。 この映画を見ると、私の聖跡桜ヶ丘での20年ほど前の日々が思い出されます。 8月23日で50歳の大台に突入した私は、聖跡桜ヶ丘のスクエアーのアウム(当時の店名)に集ったみんなに会いたいと思います。 聖跡桜ヶ丘の始めてのお店は、私の大事な思い出です。

Le Bonheur (21:19) | コメント(2)

Comments

  1. たなか より:

    お誕生日おめでとうございます。
    私の娘も8月23日が誕生日で、現在東京の大学に進学中で、誕生日の日は沖縄の友達の家で迎え、
    友達の家族に手作りのケーキで祝ってもらったそうです。
    今は東京に帰って後期に補講を受けているみたいですが。
    彼女の夢は公認会計士になることで、
    中学生の頃から社長になりたいといっていました。
    正直オヤバカじゃないので、なれたらいいなとは思いますが、なろうとする努力はきっと彼女のこれからの人生に大きな糧となることと、確信しています。

  2. ル・ボナー松本 より:

    たなかさん
    なろうとする努力が大事だと思います。それが羅針盤となって良い生き方が出来るように思います。
    一番大事な夢は必ず実現します。実現しない夢は、人は見ないそうです。

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