ミュンヘンから北東へアウトバーンを250キロ、ル・ボナー製品のメインレザーであるシュランケンカーフやクリスペルカーフを作るタンナー「ペリンガー社」へ向かう。車窓から見える風景はどこまでも平らな田園風景が続く。
アウトバーンを時速150キロで。
日本に初めてシュランケンカーフが輸入された時、そのシュリンクの質感に魅了されて使い始めた。年に一度のペリンガー社社長・ウルリッヒ氏来日時のミーティーングでお会いするたびに、一度は行って現場を見たいと願った。そしてその機会を今回得る事が出来た。世界最大の革の見本市「リニアペッレ」が前週有り、これから年末に向かってタンナーが最も稼働する忙しい時期の訪問を快く受け入れて頂いたウルリッヒ社長には感謝、感謝。
150年以上続くドイツの老舗タンナー「ペリンガー社」はチェコとの国境まですぐの村にあった。ウルリッヒ・ルーディング・ペリンガー社長に笑顔で迎えて頂いた。事前にEメールで10〜11時頃が一番稼働しているのでその時間帯に来ると良いよと伝えて頂いたので、その時間帯に合わせる為にミュンヘンを早朝出発し午後10時過ぎに到着。ドイツの製造業は朝が早く、ペリンガー社も午前7時から午後4時までだそうだ。
まず稼働中の皮から革に変わる現場を見せてもらった。そして感銘を受けた。
肉を取った残り物の皮を腐らない革に変える作業が鞣し。その革にする前に脱毛し皮裏に付着した肉片を削り取る作業。この作業が一番鞣し作業の中で厳しい。今まで何度かタンナーを見学する機会があったけれど、この現場を食事前に見学すると食欲がなくなっていた。それがペリンガー社のそれは全然大丈夫、というか清潔にすら感じられたのには驚いた。
脱毛も硫黄を使ってするのは初めて見た。日本では硫黄は使わない。なのでよく言えば温泉のような匂いで不快感はそう感じない。
ウエットブルーからそれぞれの革へと変える工程。まだまだいくつもの工程を経てシュランケンカーフたちが生まれる。その全ての工程を出し惜しみすることなく見せて頂いた。
やはりシュランケンカーフはシュリンク加工のみの希少な本シュリンクだという事を再確認出来た。多くのタンナーが作っているシュリンク革は型押し併用シュリンク革。それはシュリンク加工のみだと凝縮しサイズが小さくなり高価になる事と、手間と原皮をチョイスしないと銀面とトコの間に浮きが生じてしまう為。ペリンガー社は手間をかけ高価な原皮(アルペン牛)を使う事でシュリンク加工のみで浮きのない締まったシボを生み出す。利益のみが最終目的の大手企業グループに買収されたタンナーでは不可能な、革を愛するペリンガー一族が4代続く小さな工房だから生まれる奇跡の革たちだ。
それにしても綺麗なタンナーだ。何か神戸の酒造倉を思い描いた、お酒とは真逆の製造現場だのに。それぐらい清潔感のあるタンナーはそうはないはず。そこから生まれ出る革たちが特別なのはペリンガー社の皆さんの愛情のエッセンスが加わった賜物。
クロム革のタンナーには必須の汚水処理施設へ。この先1キロほどでチェコ国境。
バクテリアを使って濾過するこの汚水槽は汚水の出口は臭うがそこから遠ざかるにつれて臭いが消える。その後、機械式濾過器へ。ヨーロッパの大手タンナーはこの設備が大きな負担で廃業に追い込まれたり身売りした。
昼食を奥様とお嬢様に準備して頂きました。ランチョンマットはシュランケンカーフ使ってウルリッヒ氏自作、ミシンステッチも入ってます。
ウルリッヒ氏と談笑するカンダミサコさん。今回しっかり聞きたい事がいっぱいあったので、通訳兼ドライバーに剣道六段で日本での留学経験もあるサーシャさんにお願いした。これは大正解でウルリッヒ氏からいつもの英語ではなくて母国語のドイツ語で饒舌にお話しを聞く事が出来た。
最後にペリンガー社社長ウルリッヒ氏と今回参加したメンバーで。撮影は通訳のサーシャさん。
今回この訪問に参加したハミやWORKERSの舘野君やカンダミサコさんらと、今回のこの経験は特別有意義だったと話し合いながら、その心に残る5時間を反芻した。しっかり感のある足回りのベンツの小型バスでミュンヘンまで時速150キロで疾走。ドライバーのサーシャさんにもう少しゆっくり走ってもいいですよと言ったら、いやいやこれでゆっくりですよと返答が返ってきた。
おかえりなさい。
有意義な旅行でよかったですね。
20年程前に妻と二人でロマンチック街道、アルペン街道をドライブ旅行したことを思い出して楽しく読ませていただきました。
シュランケンカーフの作品に一段と愛着も深まりました。