ル・ボナーの一日
すてきなあなたへ
2013年04月03日
「暮しの手帖」という雑誌は戦後の日本を代表する雑誌です。
多くの雑誌が広告収入に頼る形で刊行されている雑誌販売の中で、
広告は一切載せずに長きに渡り刊行されている。
なので説得力がある訳だけれども声高かには主張せず、
私達の小さな日々の生活を応援する視点で60年以上続いている。
その雑誌の「すてきなあなたへ」のページで「ル・ボナー」の事を書いてもらった。
そのライターのS女史とはその後も親しくさせて頂いている。
そのS女史が大橋鎮子さんと一緒にル・ボナーに来店されたのは、
大橋さんが90歳になられる少し前だったように記憶している。
「暮らしの手帖」創刊から今日まで、
編集長、社主として長きに渡って素敵な仕事を続けられた女性。
カラフルな色のル・ボナーのバッグを買って頂いた。
人の一生なんて本当に短い。
でも生きた証をその時代に残せたら素敵です。
大橋鎮子さんは本当に素敵で、
その時一度しかお会いしていないけれど、
私達二人にとって想い出に残る女性だった。
その大橋鎮子さんが先日93歳でお亡くなりになったと、
ハミが新聞を見ていて知った。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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暮しの手帖2005年春4・5月号「すてきなあなたへ」より
「神戸の鞄屋さん」
夜、旅先の神戸でひっそり静まり返った街を、ホテルに向って歩いていました。
ふと、ウインドウから漏れる灯りに誘われて近づいてみると、そこは鞄屋さんで、壁に飾られた幾つかのバッグがライトアップされています。
色を楽しむかのように、明るいブルー、深い茶色、上品なベージュに元気なオレンジ、どれも使いやすそうなつくりです。
歩道に面した一面がガラス張りのお店で、ひとつづきになった工房の様子も、薄明かりのなかにぼんやり浮かんで見えました。
工房の片隅に小さな妖精がいて、鞄を作ってやしないかしら、、、、、。
職人さんがいるこのお店が、昔読んだ童話に重なってみえるのでした。
翌日、そのお店を訪ねました。
工房には、ミシンが数台、壁際の棚には革が積み上げられ、作業台では、ジーンズの青年と前掛けをした鼻めがねのおじさんが、一心に手を動かしています。
その足元には、大きなビーグル犬が、暖かそうな座布団を敷いてもらって気持ちよさそうに寝ていました。
扉を引いて中に入りました。
「いらっしゃいませ」
工房から声がかかり、ビーグルがひょっと頭をもたげましたが、静けさはそのまま。
店内のバッグは、上質な革の風合いが生かされたシンプルな形のものばかり。同じデザインで、材質や色の違うものが数点ずつ置かれ、ほかにお財布やベルトなどの小物も並んでいます。
お店の一番奥の棚で足が止まりました。つやのある栗色の旅行鞄に高鳴るむね。この鞄なら長いおつきあいができそうです。思い切っていただくことにしました。
工房から出てきたおじさんは、
「この革にはしっかり油を染み込ませてありますから、ときどき乾いた布で拭いてやるだけで、傷が目立たなくなります」
そういって、同じ革の切れ端を取り出して爪ですっと傷をつけ、布で拭いてみせました。そして、
「使い込むほど手になじんで、いい表情になりますよ」
と言いながら、いとおしむようにていねいに鞄を包んで下さいます。
神戸の六甲アイランド、アイランドセンター駅の北側にある「ル・ボナー」さんというお店です。
Le Bonheur (08:55) | コメント(2)
Comments
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暮らしの手帖、好きじゃないな、と思っていた時代がありました。けれども最近、この雑誌の偉大さがよくわかるようになってきました。結局、若い頃は華麗な広告に踊らされていたということです。そして、それを正面切って否定してみせるこの雑誌に反発していたのです。単なる、何でも反対、の雑誌ではないと気づいたのは花森さんが亡くなった後でした。
このエピソードの中でも、革の話になるまで一切接客していない(かに思える)ボンジョルノがすばらしいです。
Re: ボンジョルノ より
私はきっと革が好きなんでしょうね。
特に使い手の思いに応える革が。
そしてその革がいきるカタチを作りたいと。
なんちゃって〜。
こんな良心的な雑誌(決して雑ではないのですが)は今やなく、その試みの新しさは今なお色褪せていません。日本、いや世界的にも稀有な雑誌であり、その昔、多くの若い編集者が「暮らしの手帖」を見本にした時代がありました。
花森安治氏と共に今日までそのスピリットを貫き通した大橋氏のご冥福をこころよりお祈りいたします。
Re:ボンジョルノ より
一家に一冊ありましたよね。
凛としていて素敵な女性でした。