ル・ボナーの一日
鞄を作り始めた頃
2006年01月06日
19歳のとき、家出同然に東京に行き、無給でいいからと手作り鞄のグループに加わり、私の鞄作りは始まりました。いくらなんでも少しは給料を出すだろうという私の予測ははずれ、ほんとに無給からの始まりでした。住まいは仕事場の隅を仕切って、そこにベッドを置いてねていました。食料は田舎の姉の送ってくれた揖保の糸が主食でした。
鞄作りは素人に毛が生えた程度の鞄を作っていたので、数ヶ月で先輩たちと同程度の鞄は作れるようになりました。しかしそれでも給料はでず、揖保の糸だけの食生活で私は40キロそこそこの体重になってしまいました。つまり栄養失調同然で、ある時私は高熱を出し、このままだと死ぬと思った手作り鞄グループの代表がやっと給料をだす気になり、月7万円の給料を貰うようになり、中目黒に風呂なし4畳半のアパートを
月18000円で借り、仕事場のある赤坂まではボロ自転車を入手し、それで通っていました。
貧しかったけれど、毎日が楽しく、いい加減だけど一生懸命でした。
そんな時ハミと出会いました。彼女は手作り鞄のグループに興味を持ち訪問したのですが、本格的に鞄作りを教わった者には、ここでは鞄作りは楽しめないと思ったようです。
その時私は一目惚れし、猛アタックをかけ、付き合うようになりました。デートはいつもボロ自転車の荷台に座布団をくくりつけ2人乗りで都内を走りまわりました。貧乏だったけれどかぐや姫の歌のような暗さはない楽しい、心豊かな恋愛でした。
そして後先を考えずに一緒にいたいからと結婚へ。私の親父は生活能力のないおまえでは彼女を幸せにはできないと反対しましたが、止めることはできませんでした。親父のいうことはもっともで、手作り鞄のグループの給料では当然やってゆけず、結婚を期にやめて独立しました。その後経済的苦難はつづき普通の生活ができるようになったのはここ1,2年です。
ハミが相棒でなければ、鞄職人としては挫折し別の仕事に就いていたと思います。
私もハミも、生き方は当然不器用ですが、手先も不器用です。だから普通なんでもなく出来る事にも、苦労します。苦労する分、身につきます。思い出にもなります。
Le Bonheur (21:54) | コメント(1)
色々な経験をされて今があるのですね。
ダレスと申します
田舎で一人カバンを作っている駆け出しの
者です。
松本さんの作品をみていつも惚れぼれしています。
参考に参考になる作品ばかりで、その独創性は今までの積み重ねなんだなと思いました。
どうぞ宜しくお願いします
Dulles