ル・ボナーの一日
フラメンコが良かったぁ〜
2011年10月17日
今回のスペイン旅行で最も感銘を受けたのはフラメンコ。スペインの伝統舞踊だというぐらいの知識しか持っていなかった。スペインへ行ってフラメンコを観たという人に様子を聞いても、特別関心を抱く事はなかった。でも実際にライブで観て、その魂の叫びが伝わるステージに震えた。
多くのツアーで旅行会社がセットしたフラメンコは、食事をしながら観光用の余興のような扱いだそうだ。そこで主催者の古山万年筆画伯は知人を介してフラメンコ通の人から、マドリッドで本物のフラメンコが観れる場所を聞き予約し、マイヨール広場の週末の夜の喧噪を抜けてそのタブラオを訪れた。板張りの狭い舞台を囲むようにギュウギュウの観客席。日本のライブハウスのような設え。
まずはフラメンコ独特の打楽器カホンとフラメンコギターと歌のステージ。それだけで十分聞き応えがあり、それぞれ強く自己主張している。特にただの箱のような打楽器カホンと2本のギターというシンプルさからは思いもしなかった迫力ある音色には驚かされた。そして1時間半のステージは始まった。
このフラメンコは知っていたスペイン古典舞踊のフラメンコとは違うぞ。リズムが早くて激しい。その上フラメンコは情念を内に秘めた重苦しさを持った踊りだと思っていたけれど、このステージで繰り広げられているフラメンコは外へ情念を発散しているようだ。
男女二人で踊り、次にイケメンの男一人で。そして最後に少し迫力ある女の舞。その最後の女性の驚愕のタップには度肝をぬいた。一秒間に何十回床を打ち鳴らしているのかと感じてしまう神業。それも一瞬ではなく長い時間打ち鳴らすそのスタミナにも圧倒される。エンディングが来てもタップは終わらない。その舞に再び歌と楽器が呼応する。今まで以上に早く正確にタップのリズムにモダンジャズのアドリブのように応え合う。これが現在のモダンフラメンコなのか。
人は自身のアイデンティティーを表現したいと願う。そのカタチは人それぞれだけれど、その時人は夢中になれる。そして美しく昇華したその表現は人を感動させる。人が人である為の無二の価値。マドリッドの下町の小さなステージでそんな人が作り出す感動を感じる事が出来た。
一時間の休憩を挟んで今夜2回目のステージをこなす。その休憩中の彼女のどこにあの鬼気迫るタップを踏めるパワーが存在するのだろうか。深夜12時半からの2回目のステージも観たいと思ったけれど、もう予約いっぱいで駄目だった。フラメンコを観るだけの為にスペインを再び訪れるのも良いなと思った。
Le Bonheur (22:47) | コメント(0)
Leave a Comment