ル・ボナーの一日
ボンジョルノのヨーロッパ旅日記 リスタート編
2010年06月23日
(ベルリンの壁のモニュメント。ベルリンは20世紀の歴史の交差点)
(ベルリンの街の中で一番居心地良く感じた通り。70年代の風情。)
旅行から戻ってきて一週間、本調子ではなかった。日曜日に分度器氏が来られたが、彼もこれほど帰国後だるい日々は初めての経験だと言っていた。元気溌剌の分度器K女史ですら昼間に眠くなるそうだ。P&M吉宗さんとも電話で話したけれど、日中倦怠感がぬけないと言っていた。そんな3人に比べて年長の私もまた夜熟睡出来ず昼間眠くて倦怠感感じる帰国後の一週間を過ごした。丁度ブログをいつも書く時間帯が特にだるさがすこぶる高まり書けないでいた。
その事を親しいお客様に話したら、それは全てボンジョルノが悪いと言われた。
ヨーロッパ旅行中本能のまま夜4時前後に起きてしまうことを続け、そのままじっと目を瞑って静かにしていればいいものを、皆も道連れにして短睡眠でハードな日程。そのためヨーロッパ時間に順応した頃帰国する事になり、日本時間への順応も同じ時間必要になってしまった。その上睡眠不足で毎日ハードに歩き続けた疲労が重なって、帰国後4人絶不調の時差ボケ。
私は特に普段は同じ六甲アイランド内の自宅と仕事場を往復するだけで、健康に良い事は何もせず下半身を使う仕事でもない。そんな私が突然1日12時間以上歩き続ける旅行に加わり、その間体調を気遣うことなく本能のまま行動した結果、帰国後も尾を引いた。
(ニュルンベルクの旧市街。ドイツの中世を思い描ける重厚な街並。)
(ニュルンベルク駅中央。シャッタースピード長めで写してみました。)
しかしもう私は大丈夫。
この時差ボケも含めてよどんでいた脳も心機一転。
鞄職人・松本佳樹をリスタートします。
(プラハ中央駅。この内装に遭遇した時、それだけでプラハは十分堪能出来た。)
(チェスキークロムロフ。この街角を歩いた時ハリボテと感じた。しかし後で知った。このチェスキークロムロフは、ナチスドイツに破壊され社会主義時代は廃墟だったのを、解放後石を積み直し復元したのだそうだ。知っていれば印象も違っていたと後から後悔した。)
私以外の3人は今回の旅行は完全仕事モードだった。それもハードな。それに比べ私は異国の雑踏の中に身を置きリフレッシュするため。それにしてはハードになり過ぎた。皆は仕入れを考えるとドイツが良いという。イタリアはリスキーだと。でも私はやはりイタリアが好きだ。海外を旅行するたびに思うのだけれど、住むのは日本のそれも神戸が良いと再確認する。ベルリンは電車の駅舎とかを見ていると阪急神戸線を思い出す。他にもベルリンの街角歩いていると、神戸の街角がオーバーラップする。そしてドイツは日本並みにスムーズに事が運ぶ国。それに比べイタリアは理不尽な国だ。無駄も多く経済活動するには障害多い国。サミットのメンバー国であるのが似つかわしくない先進国。偉大な歴史的遺産に恵まれながら、その豊かさに無頓着なイタリアというワンダーランドを歩いていると、私に夢のひと時を与えてくれる。今回の旅は私にとっての四国お遍路めぐりのような。帰国してから充実した日々にするためのきっかけが得れると思うボンジョルノであります。
(ボローニャは日中は暑さに意識朦朧。なので過ごしやすい夜の素敵な街角が印象に残る。)
50過ぎてからイタリアに3度訪れ、なぜか回を重ねるごとにハードな旅行になって行く。今回は分度器ドットコム企画のハードな日程と体力勝負の旅に便乗したボンジョルノ。午前中は睡眠不足ながらテンション高く歩みも軽やかだけれど、午後3時を過ぎる頃には高温多湿な直射日光に体力消耗しながら、ランナーズハイ状態で歩みを進めた今回の旅。この体育会系の合宿のような海外旅行を終えた50歳半ばの私は、澱んだ脳下垂体に喝を入れて今年の後半戦の仕事を充実した気持ちで邁進していこうと思う次第であります。
(フィレンツェは今回多くの思い出作らずに終わった。でも私にとってイタリアの特別な街)
夢の時間は終わりを告げ、
その後の時差ぼけの洗礼を享受して、
ボンジョルノの覚醒~
手始めに修理から。修理も楽しくやれた。
さあ本格的に鞄作り始めます。
Le Bonheur (21:29) | コメント(3)
Comments
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分度器氏も体調を崩した旨、ブログに書かれてました。吉宗さんもだったのですね。ボンジョルノさんのブログが一向に更新されないので、重症なのだろうと推測していましたが、やはりねえ。
でも、あれだけのハードで充実した宝物のような日々を過ごしたのだから、その反動は反動として楽しめばいいのではないかと思っています。
言うなれば黄金の日々だったのですよ。
Re: ボンジョルノより
黄金の日々、そうですね。これで1年は大丈夫です。来年もイタリアに行けるよう仕事を頑張りたいと思います。もう大丈夫。昨日の木曜日は親父の命日だったので一人で墓参りに行ってきました。一緒にタバコを吸いました。 -
ご無沙汰しております。
写真を見ながらあの過酷だった旅を振り返っております。
上から2つ目の写真。
まさにあの街に訪れて『この街に住みたい!」と決心がついた場所でした。
今回の文旅は、仕事だけではなく、私の人生を大きく変えるきっかけとなった旅になりました。
お付き合い頂きまして本当にありがとうございました。
どれもすごく素敵な写真ですね!
さすが〜(拍手)
ただ歩き疲れて、常に後方を歩いてるだけではなかったのですね(笑)
また会える日まで
Re: ボンジョルノより
一番ハードだったのはK女史貴女でしょう。
本当にお世話かけました。ありがとうございました。
あの街に住んで仕事が出来る日を祈っています。
そうなんです。後から写真撮っていたのです。ただ元気であれば先に行って振り向いて3人を撮っていたでしょうが、その元気は初日のベルリンでの6時間ほど。あとは追い着くのがやっと。でも楽しかったです。
松本 様
時差ボケはだいぶ良くなられたようですね。ヨーロッパの写真も素敵ですし、最後の使い込んだ鞄も素敵です。なかなか、そちらにはお邪魔できませんので、これからもブログのアップを楽しみにしております。
Re: ボンジョルノより
ブログを書かないという思いはあったのですが、時差ボケとワールドカップが邪魔しました。これからもマイペースで続けていきますので、お付き合いのほど宜しくお願いいたします。