ル・ボナーの一日
クワドリフォリオ
2007年04月24日
私はビーちゃんを手放すことは出来ないと悟りました。しかしアルファの入手をあきらめた訳ではありません。今私は2台所有する道を画策しております。こんな無駄なことはありません。購入資金の問題以上に年間5000キロほどしか乗らない私が、2台維持することが問題なのであります。しかしその部分は得意の屁理屈3段論法でハミを説き伏せたのではありますが、今年1年大きな課題を課せられ、それをクリアーしたあかつきには2台所有することを許してもらえることになりました。
そんな状況下、私はもうアルファに乗っている自分自身を想像しています。
本命のアルファ147の現行の前の1600ccMTのエクステリア、インテリアともに私好み。日本の部品をいっぱい使っていてこれなら安心して移動の道具として使うことができます。
が、色々アルファロメオについて調べると、10年前の145クワドリフォリオというアルファが気になり始めたのであります。145のエクステリアもインテリアも全然好きではありません。しかしなぜか気になる。これは危険な兆候。
屈折したアルファマニアのY氏にアルファ145クワドリフォリオについて尋ねたのが悪かった。
Y氏は以前ポルシェ911に乗っていて、次に乗ったのがこの145クワドリフォリオ前期型。この車のドライブの楽しさに魅了されて、それ以来アルファ道を進んだお人で、145前期型までが本当のアルファだと断言する。多くの問題は抱えている車ではあるけれど、この車こそ羊の皮を被った狼と呼ぶにふさわしい車だと。そしてレーシング・アルファに冠したクワドリフォリオ(四葉のクローバー)の逸話は大変魅力あるお話でありました。
ファミリーカー然とした車なのに、そのクワドリフォリオの名が付いた145。アルファのエンブレムと四葉のクローバーのマークの付いたこの車を再び見てみると違って見えてきてしまう。
私は決してドライブをエンジョイするタイプでもなければ、車に詳しいわけでもない。
しかし、屈折した私自身のアイデンティティーに沿った車に乗りたいと思いつつ、今回の車選びは快適に移動の道具という考えの中での選択だったはずなのに泥沼に落ちそうで怖い。
ハミはこの車を見てバンパーがかっこ悪いの一言。私もいただけないと思うのだけれど、なぜかその中途半端さに魅了される。
昨日、親しい時計屋さんがお客様を連れて来てくださいました。そのお客様は50年ほど前のアルファロメオのジュリエッタのオープン2シーター(アルファの中で一番美しい車だと私は思う)をお持ちで、普段の足は最新のアルファです。完璧なアルフェスタであります。私の周りには困ったアルフェスタが増えてまいりました。アルフェスタの車生活は一般的な価値基準では計れない魅力を私は感じております。そのこだわりは少し変ではありますが。
アルファ145クワドリフォリオ前期型。見れば見るほど欲しくなくなる?けれど、目をつぶってこの車をドライブする自分を思い描いた時、フロントガラスに写る風景はイタリアです。ほどほど感と強い趣向性が混在するアンバランスはアルファロメオの真骨頂。六甲山のワイディングロードでJAFを待っている私の心細そうな姿も見えてきます。
Le Bonheur (05:53) | コメント(0)
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